①私の合気道歴と合気道をどう理解しているか
2018年6月21日
私の合気道歴と、合気道に対する私見を書いてみたいと思います。
先ず私が合気道を始めたのは1971年。大阪合気会の田中万川師範(開祖の直弟子の一人)のもとで始めました。師範の型は、舞を見ているようで実に美しいものであったと記憶しています。柔らかく稽古ができたことが、その後の私の合気道にとって、とてもいい出会いだったと思います。
その後、社会に出てから、各地で色々な師範のもとで稽古を続けました。38年経った2009年に「合気道は入り身と転換ですよ。」とお会いした最初に仰った師範に出会うことになります。以来約9年、先生が仰る「表裏一体の体、自然の恩恵に預かる、背中を使う、懐に入れる」これらの事を稽古の課題にしながらやって来ました。
お陰様で子供にも、初心者にも合気道の一端を示すことができるようになりました。
次に合気道をどのように理解しているかを書きます。
合気道の型稽古は相手を投げる方法を身に着ける為ではありません。型稽古を通して体の感覚を磨き、師範が仰った「合気道は自然の恩恵に預かるもの」を身体知する事です。
2018年6月21日(2021年8月1日一部を追記、削除)(2024年2月28日編集)
畑中
②太極拳から見た合気道
2018/08/13
太極拳では①姿勢と②呼吸を大変重要なものとしています。
①太極拳では、正しい姿勢(体)を次のように四字熟語で表現されています。「沈肩垂肘」(肩が沈んでいて、肘が垂れていること)、「身正体鬆(ソン)」(姿勢を正して、体を緩める)「上虚下実」(上半身は何(力の入っている所)もない、下半身は充実している。)これらは言葉は違いますが同じことを言っています。
私は、ある日、先生から杖を渡され、思わず「阿、重いですね」、と口を衝いて出てしまいました。その時先生は「背中を使ってみなさい」と仰いました。そのようにしてみると、何と重さが無くなったのです。太極拳で常に指導されていること、正に軸が出来た瞬間でした。
私はこの場面を、「杖の教え」と呼ぶことに致しました。
体内に軸が形成されと、その軸の移動は、大きな体圧を生み、それが、相手に圧力となって伝わります。これが入り身の妙味です。(動画①)
太極拳では、正しい軸ができると、頸力と言う、触れた相手を一瞬のうちに飛ばすことが出来る力を使うことができるようです。
このように軸の使い方は異なりますが、軸(姿勢)がいかに重要なものかご理解出来ましたでしょうか。
又、太極拳では、軸を回す、と言います。正しい軸が出来ていると回したい方向に目が向く(顔が向く)と軸は回ります、相手は何の抵抗を感じることなく簡単に動きます。
軸を回すこと、これも又、合気道の重要な技術の一つです。(動画②)
②次に呼吸の事です。太極拳では、意識(意念)をもって呼吸を導き、深い呼吸に合わせて、ゆっくりと円やかに動かす。呼吸が心と体を結んでいる。(太極拳の呼吸の原理、楊名時先生著書より)と、呼吸を姿勢と同じく大変重要なものとしています。
このことは、合気道の稽古においても重要なもののひとつでは無いでしょうか。
心、呼吸、体の一致を意識的に心掛けた稽古もまた面白いのではないでしょうか。(動画③いずれ・・・)
最後に一言、大変重要なことを付け加えます。真っ直ぐな軸が出来ても、体が緩んでいないとその軸を使うことが出来ません。この体を緩めるのが至難の業と言えるでしょうし、又、緩んだ体、表裏一体の体を作るのが稽古そのものと言えるかもしれません。
2024/02/28改
③型稽古を考察
2019/08/28
今日は、型稽古について書いてみたいと思います。 合気道の型は、相手を投げる為のものでは無いと言う事です。 美しい型を見ると、その中には受けと取りが一体となり、一糸乱れぬ調和が見て取れます。受けは取りに対してあたかも協調しているかの如くの姿が見られます。私は型は斯くあるべきと考えます。 それでは、型稽古はいかにあるべきかを書いてみます。
先ずは、受けも、取りもこの美しい型がいかにして生成されるのかを、頭で理解することです。さすれば、受けが、いたずらに頑張るのが、いかに稽古を阻害するものであるか理解できるでしょう。又、取りが受けに対して粗暴な振る舞い(投げる、痛める)をすることも同様に、稽古を阻害するもの以外の何物でもない事が解るでしょう。
よって受けは、いたずらに頑張るより、取りの導きに従い、場合によっては取りを正しい形に導いてあげるくらいの思いやりが欲しいものです。
桃李成蹊塾創立7周年を振り返る2024/03/04
2017年3月に小学校五年生(4月には六年生になる)の女子親子を塾生として始めてから7年になります。
ようやく合気道が『調和の武道』であるという事がわかってきました。合気道を始めてから52年がたちます。
さかのぼること36年、名古屋で出会った道場での出来事が、私の合気道人生の中で大きな転機をもたらすことになります。調和の武道につながる出来事なのです。
ある人物と座技呼吸法をやった時のことです。彼は私に『畑中さん、腕の力を抜いてください』『腕を持ち上げているだけで力が入っていますよ。』と言ってなかなか受けを取ってくれません。何回も挑戦した挙句、ただ一回限り彼が受けを取ってくれたのを覚えています。
この呼吸法は、この後32年の長き歳月を経て実現出来るようになったのです。32年間私の中で芽生える機会を待っていたのです。
この芽生えを引き出してくださったのが、恩師清沢師範(2009年に初めてお会いする)です。合気道が自然の賜物であることを稽古を通して教えていただきました。表裏一体の体を示して頂きました。『すべての奥義は謙虚になって感覚を研ぎ澄ませば見るえてくる』とは先生から頂いたお言葉ですが、正に見えてきたという事です。
『腕の力を抜く、肩の力を抜く』このことが相手と一体となる絶対条件なのです。偶々2022年3月に砂泊先生のYoutubeを拝見した時に、正に今やっていいることにお墨付きを頂いた気持ちになりました。
表裏一体の体、均一な、どこにも濃いところがない体(清沢師範の言)の中心に宿る心は静かに呼吸を導き、それに伴って胸が開き、その胸は相手を抱き込むがごときとなり、相手から見れば胸に吸い込まれるかの感触を覚える、同時に受けは取りの厳しい体圧を受ける事になり、かくして受けは受けをとることを余儀なくさせられる、これが合気道の技法であると考えるに至っています。
2023年4月に入会してくれた小学校五年生のyちゃんに『合気道って魔法みたい』と言わしめたのはこの奥義を見つけたお陰だと思っています。
現在当会では、『腕をあげる』、『腕を乗せる』、『心を使う』といったことを錬磨しています。
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